2011年07月19日
被災地視察
先週15(金)16(土)の二日間で駆け足で被災地を訪ねてきました。
力仕事のボランティアは、却ってご迷惑になるだろうなと、なかなか自分が行くという理由を見つけられませんでした。
また、こちらでラジオなどで発信をしていくのが役割なので、それに専念しているという行けない理由を持っていました。
そんな時、「社会貢献でメシを食う」の著者竹井善昭さんがFM西東京に打合せにいらした時に、「とにかく被災地に行って見てきて欲しい、それも早く行って欲しい、地元の方々も来るだけで良いから見て欲しいと言っていらっしゃる」という事を言ってくださいました。
その言葉を聞いた時からスケジュールを調整していました。そして行けるのはここしかないという事で行ってきました。
4ヶ月経ってもこの状態なのかという事と、とにかく広い範囲だという事です。
これは無力感に陥ってしまいそうです。
しかし、この状態でも明るく元気にさわやかに活躍している方々がいらして、周りを引っ張っていらっしゃいます。そんな方々とお会いで来て良かったです。可能性が見えています。これからが期待出来ます。
帰ってきて、これからも自分のやれる事をもっとやっていこうと思っています。
FM西東京としてもやれる事があります。
これから進めていきます。
7/15(金)朝6時大泉インターに乗って、13時には陸前高田市の海岸にいました。
その後、西東京市社会福祉協議会の職員が陸前高田市の災害ボランティアセンターで現地スタッフとして働いているので、仕事の合間にお話を伺いました。
その後、大槌町の漁師さんで、今回ラジオがすごく役立っている、臨時ではなくちゃんとコミュニティFMを立ち上げたいとい想いをお持ちの方とお話をしました。
宿泊は、釜石市で仮営業を始めてまだ空調が動いていないホテルに宿泊。
すぐ近くに、2階まで水に浸かったけど、昨日から再開したという養老乃瀧で食事。地元の方々がうれしそうな顔で挨拶を交わし、飲んでいらっしゃいました。
16(土)は、大船渡の臨時災害放送局の方とお話。市役所のスタジオから、NHKでなどのアンテナが並ぶ山の上までSTL(無線)で飛ばして、30Wで放送しているという本格的な局でした。また、そこを運営していらっしゃる方が若いですが、地元の事をしっかりと伝えていくという方で、これからますます楽しみです。
その後、海岸沿いに45号線を走り、気仙沼、南三陸、石巻、松島、塩竈、仙台と周り、24時過ぎに東京に戻ってきました。
一日走っても、まだ被災地の三分の一も走っていないというこの広大な被災地。神戸のようにひとつの街が崩れたのとは規模が違い過ぎます。
これから長い期間、想いを寄せ続けていく事だと思っています。
みなさまもぜひ一度被災地を見てください。
また、見るだけでなく、活動をしたい方、西東京社会福祉協議会が募集しているバスツアーに参加して、片付けをしてきてください。人ではいくらでも必要です。とにかく4ヶ月経ってまだこれなのか、という状態です。
とりあえずご報告まで。
力仕事のボランティアは、却ってご迷惑になるだろうなと、なかなか自分が行くという理由を見つけられませんでした。
また、こちらでラジオなどで発信をしていくのが役割なので、それに専念しているという行けない理由を持っていました。
そんな時、「社会貢献でメシを食う」の著者竹井善昭さんがFM西東京に打合せにいらした時に、「とにかく被災地に行って見てきて欲しい、それも早く行って欲しい、地元の方々も来るだけで良いから見て欲しいと言っていらっしゃる」という事を言ってくださいました。
その言葉を聞いた時からスケジュールを調整していました。そして行けるのはここしかないという事で行ってきました。
4ヶ月経ってもこの状態なのかという事と、とにかく広い範囲だという事です。
これは無力感に陥ってしまいそうです。
しかし、この状態でも明るく元気にさわやかに活躍している方々がいらして、周りを引っ張っていらっしゃいます。そんな方々とお会いで来て良かったです。可能性が見えています。これからが期待出来ます。
帰ってきて、これからも自分のやれる事をもっとやっていこうと思っています。
FM西東京としてもやれる事があります。
これから進めていきます。
7/15(金)朝6時大泉インターに乗って、13時には陸前高田市の海岸にいました。
その後、西東京市社会福祉協議会の職員が陸前高田市の災害ボランティアセンターで現地スタッフとして働いているので、仕事の合間にお話を伺いました。
その後、大槌町の漁師さんで、今回ラジオがすごく役立っている、臨時ではなくちゃんとコミュニティFMを立ち上げたいとい想いをお持ちの方とお話をしました。
宿泊は、釜石市で仮営業を始めてまだ空調が動いていないホテルに宿泊。
すぐ近くに、2階まで水に浸かったけど、昨日から再開したという養老乃瀧で食事。地元の方々がうれしそうな顔で挨拶を交わし、飲んでいらっしゃいました。
16(土)は、大船渡の臨時災害放送局の方とお話。市役所のスタジオから、NHKでなどのアンテナが並ぶ山の上までSTL(無線)で飛ばして、30Wで放送しているという本格的な局でした。また、そこを運営していらっしゃる方が若いですが、地元の事をしっかりと伝えていくという方で、これからますます楽しみです。
その後、海岸沿いに45号線を走り、気仙沼、南三陸、石巻、松島、塩竈、仙台と周り、24時過ぎに東京に戻ってきました。
一日走っても、まだ被災地の三分の一も走っていないというこの広大な被災地。神戸のようにひとつの街が崩れたのとは規模が違い過ぎます。
これから長い期間、想いを寄せ続けていく事だと思っています。
みなさまもぜひ一度被災地を見てください。
また、見るだけでなく、活動をしたい方、西東京社会福祉協議会が募集しているバスツアーに参加して、片付けをしてきてください。人ではいくらでも必要です。とにかく4ヶ月経ってまだこれなのか、という状態です。
とりあえずご報告まで。
Posted by From Nishitokyo at 10:59│Comments(0)
│東日本大震災